耳鳴り
2005年2月14日“お前よぉ。
イベント有る度にいつもいつもよ。
同じ事ばっか言うなよ。
つまんねぇヤキモチ妬かれんのが一番嫌なんだよ。
知ってんだろよ。
お前の“モノ”にはならねぇし、誰の“モノ”にもならねぇよ。
縛り付けたきゃ、終わろうか?
元々、そういう関係じゃ無ぇ筈だろ。
毎回毎回、同じ事ばっかよぉ。
大きい声出すな。子供が起きんぜ。バカタレがよ”
胃の中に鉛の塊の様な物を抱えたまま、
誰にも会わずに済む店へ。
オヤジはいつもの通り、無駄口は叩かない。
と、思いきや、
“今夜は? お一人ですか?”
アイタ。
まだ2杯目なのにナゼにこのタイミング。
“ごっそさん”
行くトコ無くなっちまったよ。
部屋に帰って音に沈んで寝るか。
あー、腰痛ぇ。
明日雨だな。
時間
2005年2月13日疲れが残っていた。
ので、
ふらっとスーパー銭湯へ出かける。
こういう時、
一人だと気がラクなんだよな。
ゆっくりボチボチ出かけて、
自分の時間の使い方で風呂に入り、
自分のペースでヌラリとした時間をだらだら過ごし、
何に追われるでもなく自分の時間を使う。
でも、
気が付くと、
誰とも喋ってなかったりするんだよな。
居場所
2005年2月9日解った様な気がするだけで、
解った様なフリをしちゃイカンよな。
解った様な気がするだけで、
解った様な事を言うのはオレだ。
距離を測りながら、
居場所を探りながら、
偉そうに宣うオレは、
やっぱ。
狡いよ。
ポジション
2005年2月8日眞鍋が眞鍋ブログを考えた
http://manabekawori.cocolog-nifty.com/blog/2005/02/post_1.html
芸能人や、いわゆる公人のブログは結構読んでる。
そう。彼女と同じ様に日常の出来事をつらつらと書き連ねるブログ。
『インターネット上でモノを書き、他人に読んでもらう』
僕を含め、殆どの一般人はHN。匿名だ。それはコワイから。
ネットの中で、自分はドコの誰ですよと宣言した上で、
特定の出来事やニュースにハッキリと意見を述べるのはとてもコワイからだ。
ましてや彼女はタレントさん。
関係者も読んでるだろうし、
言いたい事を言いたい様に書いてしまえば、色んなトコに角も立つだろう。
本文の中に“評価”という言葉が出て来る。
ブログなんて“評価”されるモンじゃ無い。
その人の書いてるモンが面白いかどうかだけだ。
読んでて感じたのは、
ずっと自分の評価を感じ続けようとしてるんだなって事。
ずっと自分のポジションを探し続けようとしてるんだなって事。
ああ、それって、ブログ書くヤツぁ、みんな似たり寄ったりか。
HNで書いてる芸能人だって沢山居るのに、それを実名でやってるってすごいやね。
或る挌闘家の言葉
2005年2月7日いくら好きでも、
いくら努力しても越えられない壁がある。
だから、
努力で乗り越えられる壁はいくら高かろうともたいしたことは無いんだよ。
目の前にある壁が努力で乗り越えられる壁ならば、
それは幸運だと思わなければならない。
インタビュー
2005年2月2日記者 趣味は何ですか?
選手 インターネット囲碁です。
記者 好きな女優、芸能人は?
選手 ないしょです(笑)
記者 どういうタイプの女性が好き?
選手 苦労してない人に憧れます。
自分は地獄のようなレスリング特訓、兵役、軍隊での人間関係、
怪我によるレスリングでの挫折と絶望、
交通事故と入院、そして、それによる経済的困窮、
そこから逃れるための荷役仕事・・・・・と
苦労続きの人生でした。だから苦労と縁のない天真爛漫な人に憧れます。
記者 だから、女優のキム テヒさんが好きなのですね?
選手 どうしてそれを知ってるんだよ?(笑)
さっき内緒にしたのに、まったく!誰が教えたんだ?(笑)
記者 苦労続きの人生とおっしゃいましたが、
そこから今に至る経緯は?
選手 交通事故で入院しているときに、一人の友達ができたんだ。
彼は私より20歳年下の少年だった。
私が退院する一週間前に彼は死んでしまった。
俺は、金も、レスリングも、健康も、名誉も何もかも失い、
そして、友達も失ったんだ。実は、彼との約束がひとつあった。
それは二人とも退院できたら俺がレスリングを教えてやるというものだった。
「二人でレスリング金メダリストになろう」なんて言ってたんだ。
俺は退院後荷役の仕事を必死にしたよ。
そして、貯めた金と借り入れた金で道場を開いた。
約束を果たすためにね。道場の経営も格闘家としての仕事も、
自分にとっては同じなんだ。両方ともチャレンジなんだ。
彼はもういない。だから俺がやるしかない。
記者 ハリトーノフとの試合は怖くない?
選手 怖いとか、怖くないとか、そういう問題じゃないのです。
やるんです。とにかく試合をする。逃げずにね。
負けないことでなく、逃げないことが私の誇りです。
人生と同じなんです。
私が尊敬する荘子が書いてますが、
「人生とは何か?」と考えようが考えまいが、
すでに人生は始まってしまっているんだ。
人生が何であろうと、生きるしかない。
オファーがあった時点で「逃げるのか、逃げないのか」という
戦いが始まっているんだ。それこそが勝負なんだ。
記者 試合への抱負は?
選手 アジアのために戦う。
記者 それはなぜですか?
選手 多くのファイターがこの試合を拒んだと聞いている。
その中にはアジアの選手もいる。
アジアの人間でもやれるんだということを示したい。
逃げない姿を見せたい。
記者 もう一度聞きます。怖くないですか?
選手 人生はお風呂じゃないんだ(笑)。
適温かどうか確認してから入ることはできない。
すでに始まっているのだから。分かるかい?
怖いか怖くないかじゃない。逃げるのか逃げないのかだ。
私は、逃げない。いや、私が逃げないのではない。
逃げない男。それが私であり、そいつの名は崔武培なんだ。
記者 若い格闘家に忠告か助言を下さい。
選手 人生は方程式じゃない。人生は、解を求めるものじゃない。
絶対に解けないようになっている。
そして、その問いを与えられた時の態度こそが答えだ。
それが人生だと思う。
ある人は「解けないなら解かない。」と問題を投げ出す。
ある者は必死に努力する。答えがないのを承知で。
記者 技術的なことや、栄養学的な助言はありますか?
選手 そんなことを今、忠告として話すつもりはないのです。
あなたは望まないだろうが、さっきの話を続けます。
人生には答えはない。
「あるかもしれない答え」を必死に探すのが人生でもない。
「ないと分かってる答え」を探すのが人生なのだ。
若い人には難しいだろうけど、それが私の助言だ。
栄養について知りたければ「月刊マッスル」を読んでほしい(笑)
記者 ハリトーノフ選手に勝ちたいですか?
選手 勝ちたいとか勝ちたくないとか、どうでもいいよ(笑)
逃げないことが大事なんだ。
勝とうとする姿勢、ひたすら逃げずに頑張る姿勢を届けたい。
もし私の肉体が滅んでも、見ている人の精神に届けばいい。
肉体はいつか滅び、誰かの記憶に変化する。
逃げない男がアジアにいた。それは誰かの記憶になった。
その男の名前が崔武培だったなんてどうでもいい。
ただそいつが決して逃げない男だったという記憶が、
宇宙の片隅に誰かの記憶として残ればいい。
PRIDEヘビー級GP2回戦、
闘った相手セーム・シュルトをして“殺されるかと思った”と言わしめ、
その闘いを見ていたケビン・ランデルマンに“見ちゃいられないよ”と呟かせ、
ヒース・ヒーリングを“怖えぇ。あのロシア人怖えぇよ”と震え上がらせた、
現役軍人『セルゲイ・ハリトーノフ』
との闘いが、
2.20 PRIDE29に於いて決定した、
韓流ファイター、ムベ様こと、チェ・ムベ選手のインタビュー。
選手 インターネット囲碁です。
記者 好きな女優、芸能人は?
選手 ないしょです(笑)
記者 どういうタイプの女性が好き?
選手 苦労してない人に憧れます。
自分は地獄のようなレスリング特訓、兵役、軍隊での人間関係、
怪我によるレスリングでの挫折と絶望、
交通事故と入院、そして、それによる経済的困窮、
そこから逃れるための荷役仕事・・・・・と
苦労続きの人生でした。だから苦労と縁のない天真爛漫な人に憧れます。
記者 だから、女優のキム テヒさんが好きなのですね?
選手 どうしてそれを知ってるんだよ?(笑)
さっき内緒にしたのに、まったく!誰が教えたんだ?(笑)
記者 苦労続きの人生とおっしゃいましたが、
そこから今に至る経緯は?
選手 交通事故で入院しているときに、一人の友達ができたんだ。
彼は私より20歳年下の少年だった。
私が退院する一週間前に彼は死んでしまった。
俺は、金も、レスリングも、健康も、名誉も何もかも失い、
そして、友達も失ったんだ。実は、彼との約束がひとつあった。
それは二人とも退院できたら俺がレスリングを教えてやるというものだった。
「二人でレスリング金メダリストになろう」なんて言ってたんだ。
俺は退院後荷役の仕事を必死にしたよ。
そして、貯めた金と借り入れた金で道場を開いた。
約束を果たすためにね。道場の経営も格闘家としての仕事も、
自分にとっては同じなんだ。両方ともチャレンジなんだ。
彼はもういない。だから俺がやるしかない。
記者 ハリトーノフとの試合は怖くない?
選手 怖いとか、怖くないとか、そういう問題じゃないのです。
やるんです。とにかく試合をする。逃げずにね。
負けないことでなく、逃げないことが私の誇りです。
人生と同じなんです。
私が尊敬する荘子が書いてますが、
「人生とは何か?」と考えようが考えまいが、
すでに人生は始まってしまっているんだ。
人生が何であろうと、生きるしかない。
オファーがあった時点で「逃げるのか、逃げないのか」という
戦いが始まっているんだ。それこそが勝負なんだ。
記者 試合への抱負は?
選手 アジアのために戦う。
記者 それはなぜですか?
選手 多くのファイターがこの試合を拒んだと聞いている。
その中にはアジアの選手もいる。
アジアの人間でもやれるんだということを示したい。
逃げない姿を見せたい。
記者 もう一度聞きます。怖くないですか?
選手 人生はお風呂じゃないんだ(笑)。
適温かどうか確認してから入ることはできない。
すでに始まっているのだから。分かるかい?
怖いか怖くないかじゃない。逃げるのか逃げないのかだ。
私は、逃げない。いや、私が逃げないのではない。
逃げない男。それが私であり、そいつの名は崔武培なんだ。
記者 若い格闘家に忠告か助言を下さい。
選手 人生は方程式じゃない。人生は、解を求めるものじゃない。
絶対に解けないようになっている。
そして、その問いを与えられた時の態度こそが答えだ。
それが人生だと思う。
ある人は「解けないなら解かない。」と問題を投げ出す。
ある者は必死に努力する。答えがないのを承知で。
記者 技術的なことや、栄養学的な助言はありますか?
選手 そんなことを今、忠告として話すつもりはないのです。
あなたは望まないだろうが、さっきの話を続けます。
人生には答えはない。
「あるかもしれない答え」を必死に探すのが人生でもない。
「ないと分かってる答え」を探すのが人生なのだ。
若い人には難しいだろうけど、それが私の助言だ。
栄養について知りたければ「月刊マッスル」を読んでほしい(笑)
記者 ハリトーノフ選手に勝ちたいですか?
選手 勝ちたいとか勝ちたくないとか、どうでもいいよ(笑)
逃げないことが大事なんだ。
勝とうとする姿勢、ひたすら逃げずに頑張る姿勢を届けたい。
もし私の肉体が滅んでも、見ている人の精神に届けばいい。
肉体はいつか滅び、誰かの記憶に変化する。
逃げない男がアジアにいた。それは誰かの記憶になった。
その男の名前が崔武培だったなんてどうでもいい。
ただそいつが決して逃げない男だったという記憶が、
宇宙の片隅に誰かの記憶として残ればいい。
PRIDEヘビー級GP2回戦、
闘った相手セーム・シュルトをして“殺されるかと思った”と言わしめ、
その闘いを見ていたケビン・ランデルマンに“見ちゃいられないよ”と呟かせ、
ヒース・ヒーリングを“怖えぇ。あのロシア人怖えぇよ”と震え上がらせた、
現役軍人『セルゲイ・ハリトーノフ』
との闘いが、
2.20 PRIDE29に於いて決定した、
韓流ファイター、ムベ様こと、チェ・ムベ選手のインタビュー。
こーゆーもんなのか?
2005年2月1日携帯で読んでくれる人にはもーしわけ無いんですが、
ダイアリーノートってPCからしか書き込めないンで、
今日はPC版の話しっす。
ダイアリーノートがね、
いろんな機能をいっぱい詰め込むのは構わんのだけどね、
今、気付いたんだけどね、
トラックバックが、これトラックバックなのですか。
つーか、
初めてトラックバックして貰ったんで、
そちらの日記を読みに行きたいんですが、
行けません。
僕のパソコンが旧いからですか?
トラックバック先を読みに行くのにググらにゃいかんとは(泣)。
しかもこちらからリンクしたトラックバック先も表示されないし(更泣)。
船出
2005年1月30日福岡ローカルで放送してたソフトバンクホークスのお披露目イベントを観る。
この日入場料が500円だったらしい福岡ドームは満員のお客さんで埋まっている。
ユニフォームのお披露目には、たっぷり時間を掛けて、期待を煽る。
新ユニフォームは・・・オレにはとてもカッコよく見えた。
番組オープニングのナレーションが耳に残っている。
『世界と対等に付き合えなければ真の強国では無い』
坂本竜馬の言葉を引用し、
海援隊の旗をモチーフにしたというユニフォームは、どこか和風(笑)。
“孫オーナーのご挨拶”と促された孫さんは、挨拶どころか演説をブチ上げる。
『私には夢があります。
いつの日かこの福岡ソフトバンクホークスが海を渡ってアメリカで戦うことを。
そしてその後、メジャーリーグのナンバーワンのチームと、
福岡ソフトバンクホークスがこの福岡ドームで戦いそして世界一になることです』
ソフトバンク社立ち上げの頃の話しを引き合いに出しながら、
超満員のファンの前で堂々と夢を語る姿に、孫さんのホンキ度をビンビン感じる。
ホンキの孫さんが「監督」「GM」そして更に、
「球団副社長」まで任せた“世界の王さん”も、熱の入った挨拶。
ホンキの孫さんが呼び寄せた、2年契約15億円のバティスタも、
プレーが着いて来れば、ファンの人気者になりそうだ。
応援歌もどっかのチームの“人材派遣の歌”みたいな、
ファンが歌うのに苦労しそうな、
つ○くプロデュースのあんなのじゃなくて、
ファンの慣れ親しんだ歌をそっくりそのまま。
“ダイエ〜ホ〜クス〜”が“ソフトバ〜ンクホ〜クス〜”に変わっただけ。
カメラはファンと一緒に応援歌を歌う孫さんを捉える。
ホークスファンはいいオーナーに出逢えたんだなあと涙腺が緩む。
球団スローガンは“目指せ世界一!”
本気でホントの世界一決定戦をやっちゃいそうな勢いだ。
世界一の球団になる事が出来たら、
“メジャーに挑戦する事”よりも、
“ホークスでプレーする事”が、
プロ選手の夢になる日がいつの日か来るかもしれない。
そんな夢物語を想像してしまった日曜日の午後。
ダメダメな店
2005年1月26日まあよ。
大体、普段はよ、
オレに付けば待機部屋な雰囲気だけどよ、
いやね、
オレはいいんだけどよ、
友達連れてった時ぐらいはよ、
キチンと仕事せんか!
ボケ!
盗聴エディー
2005年1月24日自分の日記がこんなに続いてるのも変なんだけど、
古くから日記書いてる方々が、最近あんまし更新されなくなった。
最近、ネコも杓子もブログ、ブログで、
なんとなく危なさが増した様な気がするのも間違っちゃ無いだろう。
そういえば、つい最近も、
どっかの女医さんが自分のブログで患者さんやら病院やらの悪口書き連ねて、
クビすっとばされたらしい。
書く相手が公人じゃ無いんならそりゃマズイわな。
やらかしちまったねぇ。
そんで、
ちょっとウロウロしてみれば医療関係者の方が書いてたブログがどんどん閉鎖中。
よっぽどヤバい事書いてたか、それとも恐くなったのか。
まぁ、仕事でパソコン使う人とかだと、
例えば、ネットワーク環境とかも理解してるだろうから、
そういう人がやらかしちまうのは論外だけど。
そもそも、深夜のテレビショッピングやら、大型家電量販店やら、
『安さ爆発!』を合言葉にどんどんどんどん売りまくってるけど、
売る側は“インターネットって気を付けないと危ないんですよ”
などと教える訳も無く、
“このパソコンでこんな事が出来ますよ〜。楽しいんですよ〜”
しか言わないんだから、
気がついたら痛い目に会ってたなんて事はどこにでも有るんだろうなぁ。
それこそアドレスさえ入力すれば世界中から読めるのになぁ。
電話帳から無作為に選びだすより遥かに危険だよなぁ。
インターネットを、
『楽しいツール』にするのか、
『本人が気がついて無い盗撮カメラ』にするのか、
誰か説明してあげた方がいいんじゃないの。
高齢者狙って、インターネットでワルイ事するヤツラって、
だいぶ増えてんじゃないの?
実際ここも、毒吐いてばっかしだから、敵は多いんだけどね(苦笑)。
因果は巡る のか
2005年1月23日携帯電話にメールが届く。
旧い知り合いの女の子からだった。
知り合ってからは10年くらい経つが、付き合っていた訳でも無く、
この10年で、街で数回偶然出会う位しか接点の無かった子だ。
ただ、
知り合った頃、1度だけ寝た事が有る。
それは、
当時のオレにとって、特別な事じゃ無かった。
今年に入って、
今度はコインランドリーなんて場所で偶然会う。
住んでる場所は随分遠い筈だが何故かそんなところで会う。
その時教えたメールアドレスにメールが届く。
この間の話しじゃ、去年結婚したんだよな。
でも、このメールのヤバさはなんだ。
ダンナと上手く行って無いのか?
今の生活は大切じゃないのか?
そういえば何年か前に会った時、オレは不倫の真っ最中で、
オレはオマエに何だか熱弁を奮った事があったな。
オレはあの時のオレじゃ無くなってるんだよ。
今のオレは『不倫否定派』なんだよ。
不倫を選択して幸せになろうとするヤツの足元には、
泣いてる人間がゴロゴロ転がってるんだよ。
“それ”に気付かないウチは、オレはオマエとは会えないよ。
今のオマエはヤバい入口に立ってるんだよ。
それとも今度は、
オレが“それ”をオマエに教える番なのか。
あなろぐ
2005年1月20日UWFの旗揚げ当時、営業として関わり、
昨年、新日本プロレスを退社した上井文彦氏と、
プロレスラー高山善廣の対談から。
上井『だから、どうしても僕の心の中にね、"Uの燻り"っていうのが有るんです。
なんだか知らないけど。
あの練習見てるじゃないですか、ゴッチさん来て。
あれ見た時に、ほんと、あなた、潰すんだもん、みんな、デビューする前に。
あれが本当のね、新日本プロレスの練習だったのよ。
道場で潰すんだから。
見てたらね、ほんとね、涙出ますよ、ほんと可哀想。ほんとに可哀想。
それを歯を食い縛って耐える。
耐えた人間がリングに上がれる。
本当にね、昔居た、保科くんとかね、
UWFの道場にはちっちゃい頑張りがいっぱい居た。
もうほんとにね、飴のように曲げられるわけよ、手を。
最初はほんと、自由自在にやられているんだけど、
それが一月、二月経つとね、極められなくなるわけ。』
ナゼかじーんと来る。
格闘技ブームと言われる昨今、
プロレスの道場に入門し、頭を丸めてチャンコ番をしながら雑用をこなし、
24時間練習漬けなんて生活を送ってプロを目指すなんて子はなかなか居ない。
街の格闘技道場に通い、マイナーな大会に出て、サクっと試合をして、
そのうちちょっとメジャーな所から声を掛けてもらって、
プロ挌闘家を名乗る選手が一丁あがり。
確かに試合して、ファイトマネー貰って、
それで生活してるならプロと呼ばれるんだろうけど、
それって何か違うんだと、違和感を感じるのは、
オレがアナログな男だからなのか。
呑まれ会
2005年1月19日飲む。
全然調子がノって来ない。
更に飲む。
肉が美味い。
更に飲む。
若い女の子達にいぢられる。
更に飲む。
男達にもいぢられる。
更に飲む。
だいぶ『めーとる』あがってまいりました。
更に飲む。
河岸を変える。
更に飲む。
なんだかてんやわんやになってきたぞ。
呑む。
だんだんだれとなにをしゃべってるのかわからなくなってきたぞ。
更に呑む。
きおくがとぎれとぎれになってきたぞ。
更に呑む。
いつのまにやらみせがかわっているぞ。
更に呑む。
くらくてなんだかよくわからないぞ。
更に呑む。
あなたはだあれ。
更に呑む。
ぼくはどこ。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
しゅーりょー。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
きっと長生き出来ないと思う。
幾星霜
2005年1月18日オレの身体を通り抜けて行った人は何人居るだろう。
なんつって。
やって来る人。
去っていく人。
リアルでも、
ネットの中でも、
寂しいのは少ない方がいいなぁ。
と、
思った日。
あつやとかをり
2005年1月17日古田敦也公式ブログ 1月7日
http://blog.so-net.ne.jp/atsuya-furuta/archive/20050107
↓
眞鍋かをりのここだけの話 1月12日
http://manabekawori.cocolog-nifty.com/blog/2005/01/post_2.html
↓
古田敦也公式ブログ 1月15日
http://blog.so-net.ne.jp/atsuya-furuta/archive/20050115
お互い面識は無いらしいんだけど、なんとも微笑ましいこってす。
眞鍋かをりってのは賢いのかオバカなのかよく解りません。
不思議な人です。
しかし、
トラックバックが1000越えと700越えですか。
まぁ、二人とも公人って事で。
んでも、
恐ろしいので、
両ブログへオレがトラックバックする事は無いであろー。
8分33秒
2005年1月16日大晦日のPRIDE男祭りのビデオを改めてじっくり見る。
安生。
アンタの10年間の苦しみは、
8分33秒に叩き付ける事が出来たのかい?
見ていたオレには辛くて悲しい8分33秒だったよ。
10年前、Uインターの門番だったアンタの技術はピカイチだったよな。
桜庭も田村もひよっこ扱いだったよな。
『ぐれいしーナントカ』なんて、舐めてたもんな。
万全の体勢を整えて道場破りする筈だったのに、
舐めてたアンタは時差ボケの抜けないまま突っ込んでいったんだよな。
半殺しにあったアンタの写真が、
どれだけオレ等を打ちのめした事か。
アンタはさ。
高田に呼んで貰えてさ、
大晦日の大舞台に立ててさ、
“気分はなんとなく晴れました”なんて言っちゃってさ。
やっぱりまた、オレ達を置いてきぼりにしたな。
あの時、
オレ達ファンだって、悔しかったんだぜ。
ハイアンのタックルを、がぶれず直ぐ引き込むだけ。
あれを見た瞬間、
オレは愕然としたよ。
アンタの技術は10年前と何も変わっちゃいないじゃないか。
アンタ、柔術への無関心さは何も変わっちゃいないじゃないか。
シュートなレスリングだけじゃ通用する時代じゃないんだよ。
アンタ、プロなんだからさ、
満足するのは、勝ってからにしてくれ。
もっと高みを目指してくれ。
お願いだよ、安生選手。
『ミスター200%』は安生洋二に戻れなくなったのか?
抑え込まれて動けないアンタを見てて、
何も成す術を持たないアンタを見てて、
オレは涙が止まらなかったよ。
対戦発表記者会見
http://www.prideofficial.com/free/news/details.php?id=1103285132
試合結果
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/live/200412/31/a03.html