怒り

2003年12月1日
 
船木のパンクラスism解散発言が波紋を呼んでいる。
 
確かに、船木はどちらかといえば放任主義だった。
それを棚に上げて、勝手に解散しろとはどういう事なんだと。
 
しかし、言っておきたい。
船木は“俺の背中を見ろ”と言っていたのだ。
 
 
彼は、15歳でプロレスラーとしてデビューした。
プロレスしか教わった事がない。
パンクラスを旗揚げした時は24歳。
挌闘家としては本当の意味での師を持った事がない。
総合格闘技というものの技術体系もまだ確立されていない。
だから、自らが体を張って作り上げていくしかなかった。
 
自分の知らない技、技術、コンディショニング。
柔術、柔道、空手、ボクシングやムエタイの
道場やジムに出向き、頭を下げ、教えを請い、
スパーリングでぼろぼろにされて体で覚え、
それを、実際の試合で自らの肉体を以て試し、
使える技術と必要のない技術の選別をし、
それを他の選手達に伝えていく。
一選手でありながら、コーチであり、トレーナーでもあった。
選手生活の全てをパンクラスに注いできた。
 
パンクラスでの現役生活7年間で、52戦も闘っている。
あの過酷な闘いを1年間に6戦以上だ。
旗揚げ当初は毎月試合をしていた。
何の為に無理を続けて来たのか。
体に故障を抱えていても、闘い続けた。
それは一体、何の為だったのか。
 
大きな会社を作りたかった訳じゃない。
自分が世界最強の男になるには時間が足りない事にも気付いた。
しかし、
 
パンクラスを世界最強の団体にするという夢が有ったからだ。
世界最強と呼ばれる選手を育てたいと思っていたからだ。
 
“いつまでも、自分がトップ選手の団体ではいけない”
“強くなる為に、どうすればいいのか。
 その道を自分で見つけられないならそいつは引退するべきだ”
 
彼はいつもそう言っていた。
 
練習環境を整え、選手の指導方法を確立し、
生活の安定を得る為のシステムを作り、
病気や怪我のケアがきちんと出来る体制を作り、
アマチュアの育成までも始めた。
 
“道を作った”
そう思えたからこそ、最後の相手にヒクソン・グレイシーを選び、
闘い、敗れ、引退した。
船木がパンクラス創設以来、自分の為だけに闘ったのはこの一戦だけだ。
 
 
腑抜けな連中は辞めてしまえ。
 
船木達、旗揚げメンバーが築き上げたものを
ただ食い潰すしか能のない選手など必要無い。
 
パンクラスの選手という看板だけが必要な奴は泥棒と同じだ。
 
彼が“ismを解散しろ”と言った時、
どんな気持ちだったか解らない奴はパンクラスにいるべきではない。
 
俺は、
 
PPVを見ながら涙が出たよ。
 
 

コメント

Dad

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

日記内を検索