33歳
2003年8月10日田村潔司 対 吉田秀彦
共に33歳。
田村はUWFでデビューした最初の選手。
現在の様な総合格闘技ジムなんてものは、まだ存在すら無かった頃。
プロとして、闘う事を生業としようとするなら、
プロレスラーになるしか道が無かった頃。
厳しく、狭い、入門テストをくぐり抜け、やっと入門出来ても、
力道山時代の悪習がまだ残っていた。
新弟子として雑用に追われ、道場の掃除、洗濯、食事の用意。
当時あったプロレス団体の中で、最も多い練習量、
気が遠くなっても、体が動かなくなっても、終わらないシゴキ。
前田や高田達、先輩レスラーには“可愛がられ続ける”毎日
「飯と酒で体を大きくする」「飯も練習」
飯は、吐いても食わされる。酒も、吐いても飲まされる。
眠る時間だけが、唯一自分だけの時間。
同期入門した奴はあっという間に“夜逃げ”した。
練習生は田村一人だけになった。
苦労を共にした仲間は一人も居ない。
田村は、そうやってプロになった。
叩き上げの意地があった。
強くなりたくて、プロレスラーになった。
外国では、
総合格闘技で大金が稼げる様になったから、
プロ挌闘家に転職してくる元アマ挌闘家が圧倒的に多い。
田村はそいつらが嫌いだ。
“そんな奴等には負けない”
そうも思っている。
脚光を浴びたアマチュアへの嫉妬も、少なからず有る。
だから、負けられない。
負けたく無い。
PRIDEミドル級GP 1回戦
●田村潔司 1R5分6秒 袖車絞め 吉田秀彦○
勝負は非情だ。
田村は泣いている様にも見えた。
日本の総合格闘技界では、もう古株になった。
“ベテラン”という言葉が似合う様になってしまった。
“僕が10代の頃、僕みたいなプロ選手のジムがあれば良かった”
そう話した事の有る田村は、現在スポンサー無しで、
「U-FILE CAMP」という総合格闘技のジムを開いている。
田村が育てた選手が、吉田に挑む姿を見てみたい。
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