勝者
2003年5月2日新日本プロレス東京ドーム大会「ULTIMATE CRUSH」PPVにて観戦
プロレス団体として初めて、
興行の中にガチンコ(真剣勝負)をミックスした。
プロレス3試合、続いて総合格闘技5試合、
最後にプロレス3試合。
あくまで新日本プロレスというプロレス団体の興行であるから、
プロレスファンに総合の試合が受け入れられるのか?
または、プロレスの興行で総合格闘技の試合を見せてもいいのか?
という、危惧が俺の中にあった。
総合格闘技では相手の技を受ける事は負けに繋がる。
当然だ。それが格闘技というものだ。
ボクシングだってなんだって、技を受けない様に闘う。
しかし、
プロレスの試合は相手の技を身体を張って受ける事で成立する。
そこに、昔からプロレスが抱えて来た矛盾が存在した。
闘いなのに、何故相手の技を受けるのか。
そこが、プロレスのダイナミズムでもあるのだが、
「プロレスなんて八百長じゃないか」
未だにそういう目で見る人は絶えない。
信じない人もいるかも知れないし、
やっぱりそうかと思う人もいるかも知れないが、敢えて言う。
プロレスは全ての勝敗が決まっている。
選手各々の“格”“序列”“力関係”“人気”
それらのモノによって、会社側が試合の勝敗を決める。
確かに八百長と言われればそうだ。
それを知った後も、俺がプロレスファンで居続けられたのは、
そこに一般社会との比喩を感じたからだ。
プロレスラーが本当に闘っていた相手は、
自分が所属する会社であり観客なんだと、気付いたからだ。
序列や力関係は、ひっくり返す事が出来るものなのだと、
そういう大切な事を教えてくれたからだ。
そこには、ただ勝てば良いというアマチュアイズムは無い。
それでも、本当の闘いを見たいという欲求は絶えず持っていた。
プロフェッショナルの本物の闘い。
そこに、嵐のように巻き起こった総合格闘技ブーム。
“本当の闘いが見られる”
嬉しかった。
俺の中で、あくまでプロレスとは別のモノとして存在していた。
プロレスよりも上位のものとして存在していた。
そして、この興行。
プロレスラー達が、闘っていたのは、やはり対戦相手ではなかった。
プロレスラーがその誇りを以て、
総合格闘技というものと闘っていた。
総合格闘技の方が凄いと思っていた俺達観客と闘っていた。
“プロレスの凄さを見せてやる!”
“プロレスは総合格闘技の下に位置しているモノではない!”
“どうだ! プロレスを下に見ている奴等!”
プロレスラー達の意地を見た。
プロレスラー達に闘いを突き付けられた。
命がけで相手の技を受け続ける。
死んでしまうのではないかと思う程、相手の技を受けまくる。
信じられない角度で、頭から落ちる。
さっきの、つまらない総合格闘技の試合より、何倍も凄い。
気がつけば、プロレスラー達が、観客も総合格闘技も飲み込んでいた。
久しぶりに、プロレスの試合で感動した。
プロレスラー達に申し訳無かったと思った。
貴方達プロレスラーの勝ちです。
素晴らしい興行でした。
コメント