朗読/大滝秀治
2003年4月23日背筋がパンパンに張れあがったまま息苦しい朝を迎え、
遮光カーテンを開けた。
雪だ。
窓外で、子供たちが「この特別な日」と思いっきり、たわむれている。
それは、子供の心が白いからだと、本に書いてあった。
目が痛い、ああ、目が痛い。
開けていられないほど、目が痛い。
俺は、子供たちに杓子定規な笑みをつくり手を振ると、
すぐにカーテンを閉めた。
なぜかと言うと、今、俺は、雪の白さをうたがっているからだ。
ああ、こんなに雪が白いとは・・・・・・。
俺は東北新幹線に乗り、仙台駅に降りたところだ。
四輪駆動の車に乗り換え、かなた秘境へ向かう。
いくつかの街を過ぎると、キャベツ畑に降り積む雪が見えてくる。
さらに車は、前へ前へと進んでいく。
ガリガリ音をたてて進んでいく。
傾斜三十度の凍った道に、
チェーンの音だけが、ガリガリ、ガリガリ突き刺さっていく。
やがて人影がなくなり、完全に街が消えた。
低く垂れこめる灰色の空からまるで天使のような「白」が振る。
俺の願いは、今、まさしくその「白」だ。
だから、
降り積むこの雪の白さを確かめたいと、わざわざ、ここへやって来た。
深くて、でっかい山をいくつか越えたところに、
木造モルタルの一軒長屋が、ポツンとある。
そこの庭先には、何回も何回もペンキを塗りたくった
モスグリーンのボンネットバスが停まっている。
バスのタイヤには、錆びた太いチェーンが巻きつけられていて、
昼夜問わず往復した雪降る車道には、
たくさんのゴムの長靴の跡が、ぎしっ、ぎしっ、と散乱している。
この一軒長屋は、何百年と続いた湯治場なのだ。
俺は、そこのおかみさんを少しだけ知っている。
先ほどの白い車道の足跡は、
おかみさんが
湯治客のために踏み散らかしたものだということも知っている。
俺は、玄関をガラッと開ける。
おかみさんは、去年とまったく同じように、そこに在た。
おかみさんの両頬はいつも赤く
皮膚はピーンと張り詰め笑うと少女のような顔になる。
「生きてましたか?」
おかみさんの口ぐせだ。
「いやぁ、死んでましたよ」
俺が言うと
ケタケタと笑いながら「ごゆっくり」と、
おかみさんはのれんをくぐり、ふくよかな背中を見せた。
この女性が湯治場を守り続けている人間(ひと)だ。
雪は、さらに激しく降っている。
しんしんと、ではなくそれは容赦なく、名も知らぬ谷間を叩き続ける。
だけど、おかみさんは、この雪の「白さ」を決して語らない。
この峡谷もまた、
ずっしりと黙ったまま「生」を主張している。
そして、夜がきた。
今にも落ちてきそうな、でっかくとんがった岩肌の上から、
重い月が俺をにらむ。
ここに来ると、もの言えなくなるのはなぜだろう?
それにしても、インスタントコーヒーがやけにうまい。
俺は、だんだん機嫌がよくなってきた。
だけど、無表情でいたいのだ。
なぜなら。
この「白さ」を守り続けているおかみさんの心が
あまりにも、うれしいのと
人として生きる場所があるならば、
雪降る秘境で生きたい、などと大それたことを
ほんの一瞬、この女性(ひと)の前で本気で考えた俺の無神経さが
恥ずかしかったからだ。
俺は、ほてった素っ裸を雪の上に放り投げ、目をつぶった。
河川(かわ)がごうごうと怒ってる。
ここに来るまでは、雪は冷たいものだと思っていたが、
それは俺の錯覚だった。
雪の「白」は、実に暖かかった。
94年○月×日 ---宮城県の雪降る秘境にて 長渕 剛
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